良き社会のための経済学 第3章
本日は昨日に引き続き「良き社会のための経済学」で3章の要約をしたいと思います。
第3章市民社会における経済学者
そもそも学者はどうして学問を職業にしているのか。それは主に学問の進歩を1研究者として発展に寄与し、さらに研究で知的好奇心得ることができるためである。
一方で、学者はお金などの待遇に無頓着というわけではなく、ある程度は研究内容の選択の際に考慮材料に一部になってくる。
そのような中で、学者が社会に介入することが適当かどうかいう議論が出てくる。
この点に対して筆者は適当であるという意見をもっている。
確かに、出資者は社会であることから社会に応えようとするインセンティブが働き時には捏造や自分自身に有意な研究発表を行うなど中立・公正でない部分も確かにあった。
しかし、学者が適切な態度で挑み産学連携を行えば、社会には確実に正の影響が出る。
具体的には中立的な立場による会社構造の是正やCSFに代表されるイノベーションがあげられる。
この時に大切なことは、学問の限界を知り不可能であれば謙虚に示すことである。
一方でメディアおよび政治での露出は控えるべきであると筆者は述べている。
メディアに多く出演することにより自身の立場が明確化され、学問は日々変化するものであるのに対し、持っていた考えに対して改めることができなくなる。
さらに、知識人とあがめられることで、全く違った分野でのコメントを求められることも多く、必ずしも合理的ではない主張をする可能性がある。
また、政治にコミットすべきでない理由は思想の自由を失う可能性があるためである。数十年前の全体主義の地域では言うまでもなく、メディア等で主張していた学者が弾圧を受けていた。
これら2点が行き過ぎると、市民からの学問の信頼を失い、学問自体の権威を貶めることにつながる危険性もはらんでいる。
研究者が社会に介入する際のマインドとして
①考えを代表する場であり、誰の意見かは問題ではない
②同業者に対して論破や反論に窮することを言ってはならない
そして、社会側も研究者に要請する際には
①要請目的と実行方法の合意
②長期的な展望に立つ(短中期的では契約関係は利害の不一致から破れる場合がある)
③パートナーの多様化(なるべく多くの関係者が研究者に関わり、研究者に余裕を持たせる)
➄査読が円滑に行われるような社会制度の制定
⑥第三者機関による中立的な研究内容の評価
社会と研究者どちらもが適切な様式で振る舞えば、公共政策や企業活動にもポジティブな影響を与え、社会はさらに豊かになっていくであろう。